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2015-03-31 14:22:32.0

賄い(まかない)飯から生まれたひとつのドラマ。周富徳氏と、息子・志鴻氏の物語

洋食の定番メニュー・オムライス。ハンバーグやハヤシライスなどと並び、洋食を代表するメニューとされていますが、じつはコレ、日本で開発されたメニューだということをご存知でしょうか。

オムライス誕生のきっかけは、洋食店の賄い飯だった

誕生したのは明治34年ごろ。銀座の洋食店『煉瓦亭(レンガテイ)』でその産声は上がりました。

当時は日清戦争が終わり、全国的に物資不足に陥っていた時期。そんななか『煉瓦亭』では、若手料理人たちが、洋食の基本であるオムレツの作り方を練習していました。しかし、物資不足の影響で材料となる卵も不足気味。そのため、いかに大切な練習とはいえ、貴重な卵を無駄にはできない…という感情が芽生え、結果、練習で作ったオムレツにご飯や肉、野菜を加えて賄い飯として提供するようになったのだとか。

当初はライスを卵でくるむ作り方ではなく、言うなれば「具入りの卵焼き」といった風貌。そこに改良を加えるうちに、現在のオムライスへと進化。賄い飯から一般の客に供するメニューへと成長していったそうです。

オムライスの始まりが、銀座の洋食店の賄い飯だったとは…。すっかり洋食の定番として馴染んでいるメニューだけに少し意外な気がしますね。

ところで賄い飯といえば、飲食店で働くスタッフのお腹を満たしてくれるだけではなく、料理人の腕試しの手段としても活用されています。特に有名店の賄い飯は、そのレシピが本として出版されるほど力を入れており、料理人たちの本気度を窺うことができます。

さて、今回はそんな賄い飯から生まれたひとつのドラマをご紹介しましょう。主人公は高級中華料理の第一人者とも言われる周富徳氏です。

賄い飯の出来の良さで飛躍のきっかけを掴んだ周富徳氏

富徳氏の料理人としてのスタートの場は当時新橋にあった『中国飯店』。財政界の大物が来店する一流店として知られるお店ですが、それだけに厨房スタッフの競争は熾烈をきわめたようで、富徳氏はそこからなんとか一歩抜きんでようと努力を重ねていました。その努力の証しを披露する場として選んだのが賄い飯だったのです。

当時の親方は相当なグルメだったようで、賄い飯が少しでも気に食わなければ箸をつけないこともあったそう。そんな状況にあって富徳氏は、自身の持てる力を絞り出しながら、日々、親方に喜んでもらえる料理を作ります。そしてある日、ついに親方から太鼓判を押してもらう。厳しい親方に認められた事実は社内中に広がり、社長自らが富徳氏の賄い飯を食べに足を運ぶこともあったのだとか。

そうして上司へ認められた富徳氏は、先輩たちをごぼう抜きしながら瞬く間に出世。それが自信へ繋がり、さらなる飛躍へと発展していったのです。

その後の活躍は皆さんもご存知の通り。『聘珍樓(へいちんろう)』や『赤坂璃宮』といった名店で総料理長を務め、そして自身がオーナーを務める『広東名菜富徳』を開店。テレビ出演でお茶の間の人気を獲得しながら、人気番組『料理の鉄人』では親友でもある道場六三郎氏と対戦、見事勝利を収めます。以来、CM出演や商品開発、さらには講演活動を行いながら、自身の店でも自慢の腕を振るいます。しかし、精力的に活動を続ける一方で、いつしか糖尿病を患うように…。そして2013年に入院。闘病生活を余儀なくされます。

大切な息子に技術を教えられないジレンマ

闘病中は弟子たちが店を預かり、見事に切り盛りします。ただ、富徳氏には大きな気がかりがひとつありました。自身と同じ道を志し、『広東名菜富徳』で修行を続ける息子・志鴻(しこう)氏のことです。

総料理長である自分と、一介の見習い料理人である息子。そこにある壁はあまりにも大きく、息子といえども、志鴻氏の兄弟子たちを差し置いて、特別な指導を行うことは出来なかったのだとか。これはもちろん、兄弟子たちへの配慮でもありますが、自分の力で這い上がってきて欲しい…という富徳氏の願いもあったのでしょう。

富徳氏は結局、一度も志鴻氏に料理を教えることなく、また料理人としての志鴻氏を認めることなく、2014年4月にこの世を去ります。そして志鴻氏はやりきれない想いを抱きながら、父亡きあとも『広東名菜富徳』の厨房へ立ち続けます。料理人として20年間歩みながらも、一度も父に褒めてもらえなかった…その無念さを胸に抱きながら。

兄弟子から伝えられた2つの真実

Photo by 嚇「o」

富徳氏が亡くなってから数日経ったある日、志鴻氏は兄弟子から父にまつわる2つの話を聞くことになります。

ひとつは、「総料理長である立場上、息子に直接技術を教えることはできない。どうか君たちが、息子に中華料理の神髄を教えてやってほしい」と富徳氏から頭を下げられていたこと。

そしてもうひとつは、志鴻氏がある日の賄い飯を担当したとき、それを口にした富徳氏が「今日の賄いは志鴻が作ったんだろう? あいつ、中華の味をちゃんとわかるようになってきたじゃないか」と目を細めていたこと。

普段は決して褒めることのない富徳氏が、自分の賄い飯を食べて目を細めていた。この事実を知っただけで、志鴻氏はきっと報われたのではないでしょうか。賄い飯でチャンスを掴み、そして賄い飯で後継者の成長を感じ取る。まさに富徳氏らしいエピソードですね。

富徳氏の亡きあとは志鴻氏が店を引き継ぎ、兄弟子たちとともに店を守っています。炎の料理人と呼ばれた富徳氏の魂は、いまだ『広東名菜富徳』で煌々と輝いているようです。

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■参考
日本テレビ「解決!ナイナイアンサー」